ヤスハラ・マーケティング・オフィスの近況

08月19日

激アツな夏の日々、いかがお過ごしでしょうか? 長野県の小学生は夏休みが少し短いようで、今週から登校です。母親とともに、父もホッとしております。


まあ、半分夏休みのような人生時間の中にいるんですけど。小学二年生、2歳児(基本ずーっと在宅)と一緒にいる時間が長いのは、ただでさえ肉体的にしんどい気候なのに、年取ったトーチャンには堪えるなあ。


しかし、「これを幸せと呼ぶ」を合言葉にして、今生の今日も今を生きていくのだ!


◼️ライフ・ステージ、ライフ・コース、そして、ライフ・キャンプへ


【ライフ・ステージ】
かつて昭和の時代は、ライフ・ステージ論で、大概の人生変遷を説明できるモデルがありました。説明できるというのは、誰もがそう信じてきた神話のようなものという意味です。学生(進学ごとのステージ)ー社会人(昇進ごとのステージ)ー結婚・家族(子供年齢によるステージ)ー老後ステージの大まかな人生イベントのフレームで構成され、みんな一律こうでしょう、という単純化されたモデルとも言えます。小生も昭和35年生まれなので、まさにこのライフ・ステージで自分の将来設計を説明してきました(今思えば無理やりそう信じてたのか?)。 


この区分に対して、それぞれの中にサブ・ステージがあって、競争(有名な学校)や、相対的優位(収入の多寡)のようなものに一喜一憂させたり、してみたりという世界観だった。こんな小生ですら、「・・・だった」と過去の扱いにできないぐらいの影響を受けているのさ。ええ、かなりの年数をここにつぎ込んで生きてしまったからねw。


だから昭和的な人生観であるライフ・ステージのモデルに沿って生きてくればくるほど、自分の人生が説明付かなくなった時の苛立ちはかなりでかいのです。さて受験、ほら就職だ、はい婚期です。次は持ち家じゃ、そんでもって定年みたいな、モデルに合わせて生き方を考えるのは、思考停止といえばそれまでだけど、結構、根深く流布していたのです。中途離脱した小生でさえ(といっても40歳ぐらいからの話なのだが)、もっと早くから脱ライフ・ステージしておきたかったと思う時があるのです。


【ライフ・コース】
ちょっと前の平成の時代はライフ・コース論に移行してったように見えます。ライフ・コースはもう少しモデルの自由度が高くて、学校も行ってもよし、行かなくてもよし、また行き直してもよし(社会人大学院とかね)。結婚もしてもよし、しなくてもまたよし、再婚もありだし、子供もいてもいなくてもそれも一つのモデルだよね、みたいな感じです。人生イベントの組み合わせが多様になって、そこに標準はないという考え方ですかね。独身の長かった小生(49歳初婚だよ)も生きやすい世界観ですね。


仕事に関しても、就職・転職・起業など、ライフ・ステージで大きな位置を占めていた企業の終身雇用は完全にマイナーになりました(もちろん一つのモデルとし残ってるけど)。また、夫婦&子供二人で典型的な家族です、というのも世帯モデルの中心ではなくなっちゃったしね。中心がない・主流が不在、つまり、モジュール化された人生イベントをレゴ的パーツのように扱い、プラレール的に繋げていくバリエーション豊かな人生観です。


一方、その中身であるモジュールそれぞれの質の問題(良い仕事、良い結婚、良い子育て、良い老後のような基準)は、必要な人が必要な時に答えを探すようになっているので、ライフ・ステージよりは遥かに解答例の自由度が高いために、「これが正解かな?」とい問いにはキリがない迷いが待っている世界です。 


さりながら、日々の生活では他のコースの人との比較に気持ちが揺れ動いたりします。なので、自己正当化の情報が欲しくて、肯定的な情報を集めては承認感の代替として、否定的な情報には攻撃や無視で対抗していく行動を取りがちになりますね。まあ、それでも、モジュールの入れ替えはいつでも起きうるので、自由度(不安度の裏返しだけどさ)はライフ・ステージよりは高いのです。


【ライフ・キャンプ】
さて、令和ですけど。直近のライフ・コースからもう一歩踏み出ていくであろうことを予想しております。というか、ライフ・コースの課題が目立ってきてるのです。コースを組み立てるという作業が与える人生ストレスに私たちは疲弊しつつあります。たとえ、プラレールのように自由に組み合わせができたとしても、やはり、人生は一本線になっているなければならないという神話に息苦しささえ感じているのです。それは、昭和のライフ。ステージと同じように、その上を走り続けることが人生の大前提になっているからです。


そこで、一度、働くのをやめ、探求活動や自己修練してみる。学校を休学し、独学やコミュニティを立ち上げる。従来の家族の役割を離れ、もう一回、家事・育児の仕方を実験する。長年住んでいるここを離れ、長旅や移住で異なった人間関係を再構築してみる。ある意味、コースが持つ「繋がって一つになっているのが人生」自体の否定ですね。ライフ・キャンプの意味は、何かのゴールを求めず、継続的なライフから離れる刹那優先の生き方です。


不連続な人生を自らプロデュースする。そう、次のコースを計画することを諦めるというか、プランを手放すことで起きる今の自由を人生の中心に据えるということです。人生のアジェンダなしに今を生きるというのはかなり勇気がいります。将来の不安を是とするわけですからね。で、これをライフ・キャンプと呼んでみましょう。一回、道から逸れて、山野に踏み入り、屋根のない場に寝そべって、そこから見える風景を味わってみるような生活です。


毎朝、テントから外を眺めるたびに、気がつけなかった風景の機微に気がつくかも。時間・空間・お金・体力・人間関係が随分と違ったものに見えるかもしれないのです。「あれ?、まてよ?」ってね。当然ながら、その反対もあるでしょう。「ああ、やっぱり私には人生アウトドアは無理やわ」って一晩でなるかもしれません。


もしかしたら、自分はずっとライフ・ステージで生きていくつもりなのに・・・、期せずして、ライフ・キャンプになってしまったという人もいるでしょう。明日をも知れぬ人生にも見えます。でも、悲観することはありません。歯ごたえのあるワイルド・ライフは誇るべき生き様なはずです。今の景色をじっくりと味わうように眺めることさえできればね。


ライフ・ステージが面なら、ライフ・コースは線、で、ライフ・キャンプは点のような存在。ステージの断面を肯定するのがコース、コースを断線させて愛(め)でるのがキャンプです。


小生も、ライフ・キャンプをもっと試みようと心に誓っております。「明日のことは分からないなら、今の流れだけに身をゆだねてみようよ」、そんな宣言文みたいなものがこのライフ・キャンプなのでした。


名うてのライフ・キャンパーを目指すよー!